まずは、江戸小噺から三方一両損のお話を一席。
「宵越しの金は持たねぇ」とばかりに、神田の横丁で鰯の塩焼きを肴にしこたま飲んで、いい気分になって外へ出た左官屋の金太郎。店の暖簾を「うまかったぜぇ」と押上げながらひょいと下を見ると、どうしたことか目に前に財布が落ちているではないか。
中を確かめるとなんと三両もの大金があり、一緒に入っていた書き付けからさっきまで一緒に飲んでいた大工の吉五郎の財布だと分かる。
「なんでぃ、吉さんの財布じゃ届けてやらにゃいかんな」と、早速吉五郎の家に向かう。
「ごめんよ」と勝手知ったる吉五郎の長屋の入り口を開けながら、「吉さん、おめえの財布拾ってやったぜ。中味確かめておくんなよ」と声を掛けた。
すぐ自分の財布と分かった吉五郎だったが、酔いの勢いもあって日頃の律儀な性格が表に出る。
「拾ってくれたのは有難いが、一旦俺の懐から出たものは俺のもんじゃねえ。金さん、貰ってやっておくんな」と、プイと後ろを向いてしまった。
「なんだい、人の財布と分かって自分のものにするほど、俺はまだ落ちぶれてはいねぇぜ」と、そこは江戸っ子堅気の左官屋の金太郎も負けてはいない。あげくに、帰れ、いらないの大喧嘩の末、大家さんが仲裁に入る始末。
「お二人の仰ることはどちらもご尤も。ここは大岡の旦那に裁いて頂きやしょう」と三人揃って大岡越前守忠相のところにやって来た。
二人の申し分を聞いた忠相は、懐の財布から一両を取り出してこういった。
「よし、今みなの目の前にある三両に、俺が一両を差し出すと全部でいくらだ?」
「大岡の旦那、我々だってその位の算盤はできますぜ。全部で四両でございます」と大工の吉五郎。
「うむ。では、その四両を2つに分け、吉五郎に二両、金太郎に二両渡すとしよう。これで三人ともおあいこってやつだ。わかったな、はははっ」と忠相は高笑い。
「おあいこと言われましても、だんな。どうも合点がいきませんや」と、金太郎。
「よし、説明してやろう。本来なら届けてもらったのをそのまま受け取れば三両になるところ一両損した吉五郎、拾った財布をそのまま自分のものにしていれば三両が懐に入っていたはずの左官屋も一両の損、両者から相談を受けたばっかりに一両足した私も一両の損。つまり、三方一両損というわけだ」というお話で、町民の正直さを誉めながら、丸く収めた大岡裁きの美談の1つだ。
さて、ここからが本題ですから、もっとうなずいて下さいよ。
ざっと10年も前から医療界は過誤だとかミスだとかでさんざんマスコミに叩かれ、あげくに医療費削減とやらで診療報酬も削られて今や疲弊の一途を辿るばかり。方や患者の方も3時間待っての「3分診療」ならまだいい方で、医師不足からどんどん公立病院が閉鎖され、2時間3時間もかけて隣町の病院まで通院しなくてはならないという「痛院」状態。これでは医療不信もなかなかおさまりそうにない。もう一方の保険会社はどうかというと、訴訟の増加・高額化に合わせてどんどん保険金請求が増えてしまい、保険料を値上げしても追いつかない状態。当然赤字契約が増える一方で、米国では保険会社がこの医療分野の保険から撤退するという、まさに三方が一両"損"どころか万両損の悲惨な現状だ。
そこで、私はこの大岡裁きを思い付き、悪循環を逆回転させて、なんとか三方を一両得に持っていきたいものだと思っているのです。つまり、医療は人間の行うことだからミスは減らすことはできても撲滅するなんて芸当は出来ないけれど、訴訟は防止したり減らすことはできるのではないかと思うのです。言い換えれば、日頃から接遇態度を良くしたり、ミスをした後の初期対応の仕方にも、日本人が本来持っている「和」の心を基本に据えて話し合うことが出来れば、医療界も元気を取り戻し、医療が明るくなれば患者さんも安心出来る。そういう良好な関係が築かれれば、訴訟も減ってその分保険金請求が減ってくれれば保険会社もハッピーになる。つまり、三方一両"得"ってことになるわけです。
さあさ、大岡越前の美談のようになりますかどうか、さては今後の活動にご注目下さい。